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ショーペンハウアーの読書に関する考えは現代に通用するか

(今回の話に明確なオチはないので本当に暇な人だけお読みください)

(理論の恣意的理解がある可能性があります。気を付けていますが、話半分でお聞きください) 

 ショーペンハウアーという哲学者がいる。

アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia

 自分は読書法が知りたくてさまざまな本を読んでいた時、ある本の中でこの著者の『読書について』という本が紹介されているところからこの哲学者を知った。

 一時期はこの本にのめりこみ、結果、創作活動に対してとても高いハードルを自分に課すようになってしまっていた。それはこの本で述べられているのが「現代に新しく出版され、重版に重版を重ねているような本はほとんどが金目当てのクソだから読むな。古典を読め」という主旨だからだ。さらにもっと言えば真の思想家に対しては「本なんか読むな」と言っている。「本を読むのは他人にものを考えてもらうのと同じだ」と。

 「本の読み方」を知りたくてこの本を手に取った自分が、こんなことを言われた気持ちはご想像つくだろうか。とにかく衝撃だった。一時期はニュースすらみず、ひたすらにこの本を読むことに時間を費やしていた。

 今現在は、ごらんのとおり、「疎い作品でも世の中に出さなければ始まらない」という気持ちでもって様々なものを作り見てもらおうとしているが、自分が消費するものに関しては「古典であること」「長く評価されているもの」に対して時間を割くことに意義を見出すというのをまだ引きずってしまっている。

 しかし、実際のところこの移り変わりの激しい現代社会で、新しいことを学ばずに生きていくことは可能なのだろうか。

 と、ここまで書いて、「新しい知識を得る」のと「読書」とは切り分けて考えられるものであるという可能性があることを思いついた。

 話はそれるが、この本の中でものを書く人間が3つに分類されている。一つはすでに考えをまとめあげ、あとはただ文章にするだけの人、もう一つは考えるために書く人、最後が考えないで書く人だ。ショーペンハウアーは最初に挙げた人物のなかでも事柄そのものについて思索をめぐらした人こそが真の思想家であるとしている。今これを描いている自分は2番目であるなとつくづく感じた。

 まだ様々なことを書きたいと思ったが、話をまとめられていないうちに書き出すのはよくないとこれを書いているうちに思ったので、今回はここで終わろうと思う。

 気になった人はぜひこの本を読んで、その衝撃を体感してほしい。この本を顧みてこの文章を読むと本当に恥ずかしい